すかたんな男(やつ)である。はっきりと言え、はっきりと。天皇に責任があると。
雑誌正論7月号が発売されました。総力特集「NHKよ、そんなに日本が憎いのか」で、以下の執筆陣による特集が組まれていますが、これに関してはWILLよりも充実していると感じました。
■真の狙いは皇室否定 祖国を貶める公共放送の哀れ 加地伸行
■Nスペが躍起になった帝国憲法悪玉論を排す…竹田恒泰/倉山満
■Jデビューが触れなかったもう一つの「天皇と憲法」…八木秀次
■視聴者センターに殺到した抗議…永山英樹
読んでみて痛快というか、胸のつかえがスッキリしたという文章が立命館大学教授の加地伸行氏による「真の狙いは皇室否定 祖国を貶める公共放送の哀れ 」です。このくらいバッサリやってくれたほうが、分かりやすくて気分がよいです。7ページにわたる文ですが、以下その一部を紹介します。名指しされた三人が反論すると面白くなるのですが、そんな勇気は三人にはないでしょうね、多分。

ズバッと切ってくれた立命館大学教授の加地伸行氏(正論Webから)
登場学者は皆すかたん 編集方針もへっぴり腰
話をもどす。その日本軍がなぜ横暴となり、政府の言うことを聞かなくなったのかと言えば、大日本帝国憲法(明治憲法)において、軍を指揮する統帥権が政府になかったからであるとする。では、だれが統帥権を持っていたのかと言えぱ、明治憲法第十一条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」すなわち天皇である。つまり、日本軍が横暴となり政府に従わず帝国主義の尖兵となった責任は、統帥権のある天皇にあるというシナリオである。
しかし、そういう責任論を真向から発言するのは、いろいろな意味で怖くて自信がないものだから、暗示的に明示するという、けちな〈制作〉を行なっている。
すなわち、第一回分では、台湾は最後には皇民化され、天皇のために多くの若者が戦死したことを描き出し、天皇責任論を暗示的に明示している。第二回分では、憲法の「統帥」の二字を何度もクローズアップして映し、天皇責任論を同じく暗示的に明示している。しかも、この両回ともに軍装の昭和天皇(皇太子時代にまで遡り)を映し出し、両回の天皇責任論をつないでいる。
そしてさらに「天皇に責任があった」ということを言おうとする。その際、御厨貴・東大教授と山室信一・京大教授とを登場させる。こういう肩書の者を出すと視聴者はありがたがるであろうという権威主義・愚民思想が見え見えである。
ところが、この二人の教授先生、奥歯に物の挟まったようなトーンでしか言わない。要は「天皇についてこれから議論をしていこう」というコメント。明確な意見を述べるわけではない。第一、そんな度胸のある面構えではない。そこらのバラエティ報道番組において、コメンテーターと称する連中が「この問題については、これからもっと議論していこう」などと腋抜けたことを言うのとまったく同じで、両人とも当りさわりのないコメントで凡庸極まりない。
大阪弁で言えば「すかたんな男(やつ)」である。はっきりと言え、はっきりと。天皇に責任がある、と。
貶められた「万世一系の天皇」
その山室某、明治憲法の「万世一系」という語句は、明治あたりから出てきたことばであり、それを使って明治政府が天皇を利用しようとしたのだ、万世一系などというのは新語だと、ことばを単なる新来語句として辞書的に述べ、伝統的価値はないと言わんばかりに貶めていた。
愚かな話である。なにも分っていない。儒教がその根本にあるのであるが、東北アジアにおける死生観において、大前提にあるのが〈生命の連続〉重視の思想である。この思想がまずあって、そこから放射線状にさまざまなことばが生れ出てきたのである。
すなわち〈生命の運続〉というものを表現したさまざまなことばの一つが「万世一系」なのである。「万世一系」ということばは表面であり、その内部にある〈生命の連続〉ということが日本人にとって本質なのである。
つまり、「万世一系の天皇」とは、個々の日本人の生きかたや死生観であるところの〈わが祖先以来の運続してきた生命体としての現在の自已〉という意識の投影としてのことぱなのである。「万世一系の天皇」という表現に、日本人としての在りかた、生きかたを実感していたのである。単なる天皇の存在の意味ではない。
だからこそ万世一系という立場が日本人に支持され、皇室は崇敬されてきたのである。日本人庶民はそのことを心で理解してきた。頭でっかちの大学教員は心で理解できず、辞書的に見るだけである。思想的に空っぽということである。

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そのように、山室某はなにも分っていないのに、「万世一系」ということばを新来として貶めている。また映像は西洋人を出し、皇室はいつまで続くのか分らないので「万世一系」という文言には反対していたということを伝えていた。
どの程度の西洋人か知らないが、西洋人に儒教的な〈生命の運続〉観など分りはせぬ。だから皇室を単なる豪族の一つとしてしか見ることができず、いつまでその地位を保てるのかなどと機械的に見ているにすぎない。
かくして天皇責任論を提示 シナリオはますます巧妙に
以上をまとめれば、こういうことであろう。この百五十年、日本は近代国家としてデビューするや帝国主義という悪の行動を起してきた。その実質化とは、植民地運営と軍の突出とであった。それが可能であったのは、植民地台湾を皇民化して天皇のためにという行政を進めたこと。
いま一つは、軍が統帥権の独立を振りかざし、民主主義的な方向へと進もうとしていた政党政治をだめにしてしまい暴走したことにあるとする。その、植民地を皇民化し統帥権を握っていたのは天皇であると〈制作〉したのが「ジャパンデビュー」第一回・第二回の大筋である。
そしてそこから先は、暗示的に天皇には責任があったのにその責任をとらなかったと言わんぱかりである。その周辺に御厨某、山室某、そして評論家の立花隆が口先きダンスを踊っていた。
このようにして皇室を貶めることは、護憲運動(主として第九条擁護)によって発生する天皇(皇室)肯定の矛盾に対して、天皇支持ではないという免罪符を額に貼りつけることになる。
もちろん、その延長線上の最終点にあるものは皇室否定である。しかし、みな世渡り上手なので、今はその本音は言わない。その一歩手前で、皇室を賭めるという巧妙な間接的方法を取っている。それが「ジャパンデビュー」第一回・第二回に、しかと現われていた。
今後も、こうした手法で皇室を賭め、あわよくば否定しようとする番組が<制作>されてゆくことであろう。もちろん、もっともっと巧妙に練られたシナリオを作ることであろう。


by suzunerin
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