安易な世界主義の導入は国柄の破壊に繋がる
日本人にとつて「保守的」であることは
一種の 生存本能、それが 問はれてゐる
「正論」3月号が届きました。総力特集は「炎上 !小沢民主党 」で、巻頭言は西村慎吾氏が「日本に仇なす無道の人に告ぐ」と気合いの入った論文を寄稿しています。この特集とは別に、今号には正論大賞を受けた防衛大学名誉教授の佐瀬昌盛氏と正論新風賞を受賞した拓殖大学大学院教授の遠藤浩一氏が記念の論文を寄稿しています。
遠藤氏はチャンネル桜でもお馴染みですが、彼は自民党 より右と言われた民社党本部に13年間も職員として勤めたのですね、知りませんでした。どうりで根っからの保守なわけです。その論文「生存本能としての保守がとはれてゐる」がなかなか読ませてくれているので、少し難解かも知れませんが一部を抜粋して紹介します。
文中に「河合栄治郎は、世界主義を排し、その国独自の国民性を重視せよ、と説いたが、福田恒存も世界主義なるものの実体を鋭く抉つてゐる。『福田恒存と三島由紀夫の戦後』でも引いた文章だが、大事な指摘なので今一度掲げる」とここではゴチック体で引用した部分が特に注目です。
大見出しでもあげましたが、「私は日本人にとつて『保守的』であるといふことは一種の生存本能ではないかと考へてゐる。日本人及び日本国は、いま、その『本能』が問はれてゐるのだと思ふ」という結語は、一般の人にも判りやすい良い言葉だと思いました。 今後は「保守ってなに?」と聞かれたら答えは「日本人として生きるための本能」で良いのではないでしょうか。
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一九六〇年体制
私はしばらく前から「一九六〇年体制」といふ視点から戦後政治を見直す作業を始めてゐる。
保守合同 ―自由民主党 結党の最重要テーマは「戦後」からの脱却、すなはち「従米・半独立」の吉田路線を修正することにあつた。「脱吉田」をリード したのは岸信介であり、その中核には「経済を自立させ、独立を完成させる」といふ構想があつた。
岸が目指したのは「親米・独立」路線であり、経済・福祉から国防・安全保障にいたるまで、総合的に独立主権国家体制を整備するといふのが自由民主党 の原点にほかならなかつた。それは「自主憲法 制定」といふ一語に端的にあらはれてゐた。
しかし、日米安保条約の改定に全精力を使ひ果した岸が退陣した後の自民党は大きく変貌した。独立の完成といふ党是を事実上反古にし、吉田の「従米・半独立」路線に回帰した。ここで「戦後体制」が本格的に固定されてしまつたのである。爾来国民の関心から「国家」は遠のき、豊かさの追求だけが目標になつていつた。
池田内閣発足とともに「五五年体制」は実は終はつてをり、代はつて「六〇年体制」が始まつてゐたのである。岸は、「私が総理を辞めてから、あまりにもだな、池田および私の弟が『憲法 はもはや定着しつつあるから改正はやらん』というようなことをいってたんでね。(中略)制定の手続きにも間違いがあるし、内容にも誤りがある。あれは占領政策を行なうためのナニであった。その辺の事情を国民に十分理解せしめるという役割は、総理が担わないといけないんです。総理みずから改憲に意欲を持ったのは私が最後なんです」(『岸信介誕言録』)と切歯扼腕した。
一九六〇年を境に自民党 政治は大きく変化したといふ論点を逸早く提起し、最初に「一九六〇年体制」といふ用語を示したのは、北岡伸一である。すでに八○年代初頭に「五五年体制」といふ用語でもつて自社二大政党成立以後の政治を説明するのは不都合であることを指摘し、「今日の間題は、五五年体制の崩壊ではなく、私益政治の発展、あるいはやや粗雑な言い方をすれば、"六〇年体制"の発展なのである」「六〇年体制が正教を持つ体制としては成立しなかったことが問題だったのである」と主張してゐる(「包括政党の合理化七〇年代の自民党」、『国際化時代の政治指導』)。
慧眼である。ただし、後になつて、「正教」なき池田・佐藤時代について「自民党 の黄金時代」(『自民党 政権党の38年』)と評価してもゐるので、「私益政治」について正面から否定してゐるわけではなく、戦後保守政治における正統性の不在といふ問題についてもさほど問題視してゐないのかもしれない。
私とて、池田・佐藤時代を全面的に否定するわけではないし、冷戦構造をうまく活用して高度経済成長を達成したのは近代世界文明史上の快挙だと思つてゐる。しかし、その成功神話 に酔ひ、「六〇年体制」のもとで、自民党 が保守政党としての正統性(正教)を放棄していつたことが、今日の衰退の淵源にあるとも考へてゐる。
とりわけ、欧州における冷戦が終結した後、国際環境―日米安保体制を取り巻く状況が大きく変化してからも、経済成長だけを政治の主目的に据ゑ続けた自民党 の罪は大きいと思ふ。そこに国民は本能的に危機感を抱き始めたのではないか。有権者が昨年"政権交代"劇を推し進めた背景にはさうした危機意識もあつた筈である。
いま保守政治に求められるものは、何よりも正統性(正教)の復権であらう。自民党 に復活の展望が拓けないのは、その問題意識が欠如しているところに原因がある。他方民主党 政権は、極端な再分配政策においても、あるいは嶋山総理・小沢幹事長のカネに対する破廉恥な感覚においても、その基盤が一九六〇年以降の「私益政治」にあることは明らかである。
ところが、「六〇年体制」下の私益追求構造を担保してきた日米同盟の重要性については驚くほど感覚が鈍く、その点では自民党 よりはるかに劣化した政権と言はなければならない。
漸進的改革主義の本質
昭和三十五年、「六〇年体制」が始まるのと同時に民社党が誕生したのは歴史の偶然といふべきか、あるいは必然といふべきか。
一部のマスコミによつて繰り出された「自民党 より右」との批難は、民社党にとつては栄光の讃辞だつた。自民党 が社会党との間で配分をめぐる談合 政治を展開する中で、民社党が右から圧力をかけ続けたことの功績は、決して小さくなかつたと思ふ。
平成二十一年の政権交代は「六〇年体制」といふレジーム内部での小さな転換であつて、そこに本格的な変化や国家の再生を求めるのは幻想である。むしろ民主党 内部では私益追求を主目的とする自社談合 政治のミニチュア版が隠微な形で行はれてゐ(小沢=輿石の蜜月を見よ)、しかも自民党 政権時代には保証されてゐた政党内における自由な言論は事実上封印されてゐる。
かつて「六〇年体制」において右から圧力をかけることで、小政党ながらも存在感を示した民社党の党是は「左右の全体主義との対決」であつた。しかしいま、民主党 内の旧民社党系議員は絶対的支配者の前で鞠躬如(きくきゅうじょ)とするばかりに見受けられる。全体主義は独裁者によつて一方的に作られるのではなく、彼の前で党員や国民が身を辣ませることによつて形成されていくことを忘れてはなるまい。
ところで、わが国における漸進的改革主義の思想基盤を形成した河合栄治郎は、自らが考へる自由主義的社会主義と共産主義との違ひについて十五の項目を挙げて細かく説明してゐるが、その第一に掲げたのは、世界主義=コスモポリタニズムを排して、国民の特殊性を認めよ、といふ点であつた。
さらに「彼等は国家をブルジョアーの機関と考えるから、国家の元首をブルジョアーの代表者と見る。之れ彼等が我が国に於て国体違反に至る理由である。私は国家観を異にするのみならず、日本に於て、天皇 は国民の超階級的の仁慈の主体で在らせられ、国民は崇敬の感情を以て挙って天皇 を仰ぎ奉ると想う」と彼我の天皇観、国体観の違ひについて明確に論じてゐる(「私の社会主義」)。
西尾が社会党結党時に示した「天皇 を戴く社会主義」観は、戦前すでに河合によつて論点が整理されてゐたわけである。
私自身は自らを社会主義者とは思はないし、真の社会主義とはかうだといつた本家争ひにも興味を持たないが、河合や西尾が追求した「天皇の下での漸進的改革」「国体を護持する改革」は、言ひ換へれば「保守するための改革」にほかならず、これすなはちわが国の歴史伝統に則つた構へ方といつていいと思ふ。
といふことは、私はやはり河合や西尾の系譜に繋がるのだと言ひ得るし、同時に河合や西尾も広い意味の保守主義者ではなかつたかーこんなことを言ふと目を剥く人もゐさうだが、私にはさう思はれる。レッテルの問題ではなく、彼らの(あるいは私の)思考法の本質が保守的だと思はれるのである。
「保守」とは何か
河合栄治郎は、世界主義を排し、その国独自の国民性を重視せよ、と説いたが、福田恒存も世界主義なるものの実体を鋭く抉つてゐる。『福田恒存と三島由紀夫の戦後』でも引いた文章だが、大事な指摘なので今一度掲げる。
世界主義か民族主義かの二者択一にさいして、躊躇することなく世界主義を採用して惑はぬ国があるとすればーひとびとはふしぎにこんなかんたんな事実におもひつかぬらしいのだがーそれは世界主義の採用が同時におのれの民族主義の方向を満足させうる国家にほかならぬ。
(略)
ソ連すら、第二次大戦中において、いやミュンヘン会議以来、つねに世界主義と民族主義のあひだを往き来しつつあつたし、そのことをめぐつて育まれてきた連合 国間の心理的な離反結合は戦後の今日にまで尾をひいてゐる。といふよりは、そこに二十世紀の政治的課題があるのにほかならない。さらにその底には、人間の全歴史を通じて見られる根本原理がーすなはち正義とエゴイズムとの闘争ーがひそんでゐる。世界主義の採用が同時におのれの民族主義をも満足させるといふことは、この根本原理にまで還元していへば、正義の採用が同時に自已のエゴイズムをも満足させうるといふことではないか。
国際共産主義でもグローバリズム でもなんでもいいが、さうした「世界主義」を推進しようといふ国は、それによつて自らの民族主義、エゴイズムを満足させようとしてゐるにほかならぬ、といふ冷徹な現状認識に立つならば、安易な世界主義の導入は、国柄の破壊に繋がることに容易に気付くであらう。
さういふ「かんたんな事実」に気付かぬまま進める制度変更すなはち改革は、破壊のための破壊でしかない。民主党 が進めようとする諸政策には、さういふ傾向のものが少なくない。
河合、西尾、福田は、その点で発想を共有してゐたといへる。もちろん、河合も西尾も、保守主義者ではなかつた。彼らがイデオロギーとしての保守を信じてゐなかつたのは事実である。実は、その点においても、福田と共通してゐたといへるのではないか。
私の生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。私の言ひたいことはそれに尽きる。
普通、最初に保守主義といふものがあつて、それに対抗するものとして改革主義が生じたやうに思はれがちだが、それは間違つてゐる。(略)最初の自已意識は、言ひかへれば自分を遮る障碍物の発見は、まづ現状不満派に生じたのである。革新派の方が最初に仕来りや掟のうちに、そしてそれを守る人たちのうちに、自分の「敵」を発見した。
先に自己を意識し「敵」を発見した方が、自分と対象との関係を、世界や歴史の中で自分の果たす役割を、先んじて規定し説明しなければならない。社会から閉めだされた自分を弁解し、真理は自分の側にあることを証明して見せなければならない。
かうして革新派の方が先にイデオロギーを必要とし、改革主義の発生を見るのである。保守派は眼前に改革主義の火の手があがるのを見て始めて自分が保守派であることに気づく。「敵」に攻撃されて始めて自分を敵視する「敵」の存在を確認する。(略)
進歩や改革にたいして洋の東西を間はず、保守派と革新派とが示す差異は、前者はただそれを「希望」してゐるだけなのに反して、後者はそれを「義務」と心得るといふことにある。保守派にとつて「私的な欲望」にすぎないものが革新派にとつては「公的な正義」になる。
進歩は人間のごく自然な「現実」でありまた広汎な人間活動の「部分」であり「手段」であると一方は考へるのだが、他方はそれを最高の「価値」に祀りあげ、それこそ生存の「全体」であり「目的」であると考へる。
保守派は進歩といふことを自分の「生活感情」のうちに適当に位置づけておけばよいのだが、革新派はそれを「世界観」に結びつけなければならない。(「私の保守主義観」)
河合や西尾、そして旧民社党といふ政党を「改革主義を掲げる革新派」ととらへる人は少なくないだらう。事実、さうした主張を言葉の上では、彼らも民社党もしばしば行つてきた。しかし彼らはまた、生き方ないし考へ方の根本に保守的なものを持つてゐた。そして彼らもまた眼前に燃え上がる「革命」といふ炎を見ることで、自らの内部の「保守」を実感したのではなかつたか。
共産主義や破壊主義といつた「敵」の姿を目の当たりにして、初めて守るべき国家や自已を意識したのではなかつたか。民社党が、共産党との理論闘争や国防・安全保障において果敢な政策を打ち出したときにこそ、もつとも輝いてゐたのは、「敵」の攻撃から国家と自己を保守することに意識的な政党だつたからにほかならない。私は、さういふ民社党に惹かれ、社会人としての修行期間を過ごしてきたのである。
私も、自分を保守的ではあると思つてゐるが、保守主義者と規定したことは一度もない。同時に「改革主義を掲げる革新派」だったことも、一度もない。この点では、何人かの旧民社党の方とは立場を異にするかもしれない。
しかし、「私的な欲望」と「公的な正義」とをことさら混同させることによつて人心を撹乱し権力を獲得するのは卑しいことだと考えるその一点において旧民社の人々は一致してゐた筈である。民社党が階級政党論を排し国民政党論に立つたのはそれゆゑではなかつたか。「価値」と「目的」を混同してはならない。「敵」と「味方」を見誤つてはならないー民主党 を見てゐると、さう思はれてならない。
私は日本人にとつて「保守的」であるといふことは一種の生存本能ではないかと考へてゐる。日本人及び日本国は、いま、その「本能」が問はれてゐるのだと思ふ。(正論3月号P244-P249)
by kenzo1348
日本解体三点セット、強行か?